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執筆者の写真Joe

モノの価値を捻じ曲げてしまう「意識」~お金にまつわる間違い~

更新日:2020年5月5日



 MITのスローン経営大学院の教授であるDan Ariely氏が書いた著作「Small Change: Money Mishaps and How to Avoid Them」は経済学のコンセプトを小話をはさんで紹介していく本で、人のお金に対する意識がおもしろく描かれています。


 私は原文で読んだのですが、日本語版はまだ出ていないようですので、少し冒頭の部分をかいつまんでお話したいと思います。



消費における機会費用の考え方


 Dan Ariely氏は、消費者は何かモノを購入するときに「機会費用」を考えていないと言います。


 念のために説明しますが、機会費用とは、「他のことをすれば得られたであろう最大の利益のこと」です。例えば、年収500万円稼げる人がある日仕事を辞めてニートになったとします。そうすると、働いていれば稼げたはずの500万円がニートをしていては手に入りませんから、ニートをしていることで500万円の機会費用が発生していると言えるのです。  簡単に言うと、「~する代わりに~していれば手に入っていたはずのお金」が機会費用です。


 例えば、同氏はトヨタのディーラーショップに行って、トヨタの車を買おうとしている客に、「トヨタの車を買う分のお金で何をあきらめなければいけないか」と聞くと、ほとんどの人が答えられない。或いは、「ホンダの車が買えなくなる」といった答えが返ってくるのです。


 では、下記のような場合はどうでしょうか?


① $1000のパイオニアのCDプレーヤーか$700のソニーのプレーヤーどちらを買うか ② $1000のパイオニアのプレーヤーか$700のソニーのプレーヤー+$300分のCDどちらを買うか


 この実験では、多くの人は$700のソニーのプレーヤーと$300分のCDと答えたのです。


 「$300のCD」というほうが、「$300のものなんでも」というよりも何が手に入るのか想像がしやすいためです。


 このように、人というものは、「~を買わなかったら何が買えたか」、「~しなかったら何ができたか」といった事を常に考えているわけではないのです。




価値の認識


 iphoneの値段、netflixの月額会費、或いはアート作品の価値はだれが決めるのでしょうか。

 価値観とは全ての人みんなが持っているものです。


 価値というものは、機会費用という概念が反映されていてしかるべきです。

 何かを得るのをあきらめたら、代わりにどんなモノや体験が得られたかという考えに基づいているべきです。

 なので、根本的に、お金=機会費用=価値ということになります。


 しかし、人はモノの価値を見誤ることがよくあります。

 例えば、都心の家賃が上がり続けているのに見て見ぬふりをしたり、別の場所で100円で買える同じクオリティのコーヒーをカフェで400円を払って買ったり、100万円使って旅行に行った旅先で数百円の違いしかない安い駐車場を探し回ってドライブしたり…といったように価値の認識が様々な要因によって捻じ曲げられているのです。


 価値の認識を捻じ曲げる要因を下記にいくつかご紹介します。




相対的なコスト


「相対性」が価値を左右することが多々あります。


 例えば、「6000円のTシャツか、元の値段が10000円だけども40%オフで売られているTシャツのどちらを買うか」と聞いたとき、同じ値段ですが多くの人は後者を選びます。


 相対性自体は悪い事ではないのですが、問題は「何と比べるか」です。多くの場合は同じものを比べてしまうのですが、機会費用の考えでいくと、本当は別のバージョンの製品や或いは全く別の何かと比べたほうがいいわけです。

 6000円と10000円を比べると6000円のほうが安く感じるが、本当なら「6000円のTシャツ」と「6000円でできる全ての事」と比べなければならないのです。

 ですが、どうしてもセールで4000円得したと考えてしまって、「4000円を別の事に使える」と考えてしまうのですが、本来であれば6000円と「6000円でできる別の何か」と比べなければいけないのです。


 相対性は普段我々が目にする商品や価格設定にも広く使われています。例えば、レストランに行って200g、300g、400gのステーキがあったとしたら300gをチョイスする人が多いのです。




予算の区分


 価値を左右する別の例として、予算の区分が挙げられます。


 大企業など大きな組織では年次予算が各部門に配分され、何にいくら使うかを年初に決めるでしょう。

 個人でも、意識的・無意識的に何にいくら使うかを配分しています(家賃、外食、服などなど)。典型的な例は、主婦が封筒に家賃や電気代等を分けて入れて管理し、毎月その封筒から決まった分の支払いをするというものです。


 これは、お金の「ラベル付け」をしているようなものです。


 例えば、$100のミュージカルを見に行ったとします。

 ミュージカルのチケットを事前に買ったのにも関わらず、会場に着いたときにチケットを無くしたことに気づきます。財布にはちょうど$100があるのですが、チケットを買い直すかというと、ほとんどの人は買いません。


 では、この場合はどうでしょう。


 ミュージカルのチケットを事前に買わずに会場に着きました。財布を見ると$100を無くしていたことに気づきます。しかし、元々$200持っていたので$100財布に残っています。この場合チケットを買うかというと、多くの人は買い直すと答えるのです。


 いずれのケースも同じコストなのに別の行動に出てしまうのです。

 なぜかというと、前者の場合、「チケット」というカテゴリに$100の予算を配分していたので、あとで補充する事はできないからです。

 $100を財布から無くしたケースは、チケット予算というカテゴリから無くしたわけではないので、新しくチケットを買い直すことが出来るのです。



 このように、コスト負担は同じであっても人の意識によって価値や見方が変わっていくのです。こういった意識を個人の消費やビジネスに応用することもできるのではないでしょうか。




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